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【 2024/05/07 05:15 】
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「にんげんだもの」という相田みつを先生の言葉や書を見聞きした事
があると思います。
どんな感想を持つでしょうか。
一般的に苦しいときや辛いとき、失敗したとき悲しいとき
「にんげんだもの」仕方がないさ、
「にんげんだもの」過ちだってあるさ、
「にんげんだもの」 「      !」

この見方も神仏(悟りの世界)からみると
「にんげんだもの」救わずにおれようか!
「にんげんだもの」迷いは当たり前、無条件で救うぞ!
迷いは人間の証明だ!
わし(神仏)が見てるぞ、守ってるぞ、待ってるぞ!
の呼び声に聞こえるのが嬉しいね!

「ああ神仏に守られているな。
にんげんだもの救われないわけがない」
という実感とフツフツと「信仰心」の湧いてくるのが嬉しい。


しかしながらそんな心境にいても身内に不幸が起これば
悲しいし、辛いし、苦しいものだ。
母が危篤と聞いただけで次第に心が暗くなってくる。
母は実相の国土に摂取されるんだ
古い衣を脱ぎ捨てて新しい世界に飛翔するんだと思い、
喜ぶはずが、胸をつままれるのはなぜだろう。

ふと日蓮上人のエピソードを思い出した。
弟子の身内に不幸が起こると一緒に大泣きし、
一緒に悲しんでくれたそうです。
日蓮上人の人柄が忍ばれます。

先哲のエピソードにはこの種の話はつきません。
悟りを開いていようと、信心を得ていようと
「にんげんだもの」



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【 2009/02/06 17:58 】
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