パニック障害の概略
『自分は心の主人か、それとも奴隷か?』(禅語より)
この言葉は禅宗の言葉として有名です。
病気について解釈すれば「主人であれば病気はつくらず、奴隷なればこそ病気をつくる」とでも申すところでしょう。
本当に健康で自由な人というのは自己の心を支配できる人のことです。
支配しているつもりでも心に支配されている方が多く、心の病気を始め、難病や癌になったりします。
ではどんな心が病気を創るのでしょうか。
それは『恐怖心』と呼ばれる感情です。
病気や不幸は自らが呼び寄せているのです。
恐怖する心が病気や不幸を呼び寄せています。
この恐怖に立ち向かう方法に2つあります。
第1は恐怖を覆い隠すように「怒り」をもって対抗する人々。
絶えず他人に対して虚勢を張っていることが多く、たいていの場合循環器系の疾患になりやすい。
第2は恐怖に立ち向かわず「逃げる」ように隠れる人々。
本当は怒りたいのに自己の内側に溜め込み、自己がいい人であることを演出します。
内在した怒りは恐怖とタイアップし、潜在意識に埋め込まれていきます。
ことあるごとに恐怖から逃れる為、本心と違う行動をとります。
おどけたり、ピエロになったり、ヒーローを演じたり、世話焼きになったり、恐怖心の原因である人との関係が近ければ逃げることもかなわず、心の中で反抗しながらも、従順である、などの自己のポジションを作っていきます。
一般的に幼少の頃両親から絶対の愛を感じている方にはこういうことは起こらないといわれています。
愛を感じていないか、条件付の愛を受け取っていた方が第2のカテゴリーに属します。
条件付愛とは「いい子にしていなさい、そうしたらこれをあげるわ」「掃除しなさい」「勉強しなさい」などといわれ、そうすることにより親に愛されることを知ります。
反面、親の言うことをしないと、酷く叱られたり、阻害されたり、虐待を受けると、子供は酷く傷つき、更に条件つき愛を得ようとします。
簡単に言えば、パニック障害の患者さんやうつ病の患者さんは心の根っこに虐待されたか、条件付愛を得ていたともいえます。
さて、第1の立場をとった人々は虐待側に、第2の立場を選んだ人々は虐待される側を演じます。
まるで肉食系と草食系みたいですが、その通りです。
そして、どちらも不幸です。
パニック障害の方々の心の根っこには『恐怖』があり、対応策として第2の立場を選んでいることが多いのです。
だからと言っていつでもパニック障害になるわけでありません。
先ほど申しましたようにピエロや世話焼きなどの役割を上手に演じていられるときはパニックになりません。
この役割が果たせないときにおこります。
具体的には例えば、一人の女性は3つの役割を持ちます。
嫁として、妻として、母としての役割です。
そしてよき嫁として、よき妻として、よき母としての役割を演じているときは良いのですが、何らかの原因で3つの役割から除外されたと感じたときに発作を引き起こすのです。
「私はここに居るのよ!忘れないで!無視しないで!」と言う心の叫びが自分で病気を誘発します。
つまり病気を引き起こすことにより、周囲の関心を引き寄せ、自分の存在を確認しているのです。
しかし、周囲の方が心配してくれても、それがあまり長引くと却って疎んじられることもあるので、発作は数分から数十分で終わります。
病院で検査しても生理的病理的に異常は発見されません。
パニック障害と言う診断名が付きます。
そして脳内の伝達物質の異常とされ、薬が処方されます。
それが精神科でさえそうなのです。
記憶と感情が原因であるにも拘らず薬で対処しても、原因は去っていないわけですから、いつまでたっても治らないということになります。
記憶にまつわる感情(恐怖)を消滅させない限り、この病気は治らないのに、と思います。
パニック障害の方の心の根っこには恐怖があると申しましたが、これが地雷です。
この地雷のスイッチを押してしまった時に発作を起します。
このスイッチは限りなく作られています。
過去の出来事の記憶(記憶と言うのは本人が覚えていようがいまいが、潜在意識に刷り込まれています)がそのときの感情とセットでスイッチとして作成されています。
現在意識が過去の記憶の感情と同じ感情を体験したときにスイッチは押されるのです。
あなたがパニック障害に陥った時を考えてください。
狭い空間に他人がいっぱい居て、息苦しくなり、動悸も激しくなったはずです。
何がなんだか判らないうちに始まり、しばらくすると落ち着いてくるはずです。
こんな経験はしたこともない、いったい何が起こったのだろうと訝しく感じられたことでしょう。
これが現在の現象としてのパニック障害の概略です。
パニック障害ではなく、自己の役割を失い、途方にくれ、生きる力を失ったり、なにもする気にならない、もう死にたいなどと言う方向に行くとうつ病と言うことになります。
パニック障害とうつ病の根っこは一緒です。
ちがうのは自己の役割を持つかそうでないかの違いです。
パニック障害の方がしっかり自分の病気を認識しないで、薬ばかりに頼っていると頭はぼんやりとし、依存症が強くなりやがてうつ病になることもあります。
第2の方々の特徴は依存性が強いと言うことでもあります。
どういうことかというと、「こうなったのは〇〇のせいだ」と人や物や事に責任を押し付け、そのことにより心の平衡を保とうとしているのです。
例えば学校でイジメにあっている子はやがて不登校になり、ひこもり、家庭内暴力を引き起こすと言うことがありますが、根っこは第2の方々の特徴を持っています。
なぜ自分を可愛がってくれた母親に暴力を振るうのでしょう。
もっとも心配してくれている母であるはずなのに。
じつは「こんなみすぼらしい自分にしたのはこの世に生んだ母のせいだ」「自分を甘やかした祖母のせいだ」と思いつめるまでに心が病んでしまっているのです。
挙句の果てに母や弱い立場の祖母を刺してしまいます。
TVなどでこんな引きこもりの番組を見るたびに「可哀相に、父母に原因があるのだから早く気づいて、対処して欲しい」と思ってしまいます。
なぜ?
父母が原因?
あなたはそう思われるでしょうね。
これは『負の連鎖』と呼ばれる現象なのです。
虐待された子供はやがて親になり、我が子を虐待します。
しかし子供全員ではありません。
兄弟姉妹のうち誰かです。
不思議でしょう。
実はこの親は小心者で臆病者なのです。
子供全員を敵に回すことなど出来ないのです。
たった一人かせいぜい2人を虐待するのです。
そして虐待しないほかの子供を自分の味方に付けているのです。
児童相談所や警察が児童虐待と言うと、親は「躾」と称します。
本当の躾なら子供全員にするべきなのです。
そうすると全員から嫌われる可能性もあります。
それでは自分が寂しくなり、自己を保てなくなり、自己崩壊を起します。
それが怖いのでスケープゴートを用意している小心者なのです。
では子供たちの中で誰を選ぶかと言うと、問題を起しがちな子であり、自分に似たイジメられそうな子供なのです。
その選択は実は子供のほうが先に感じています。
何となく親から嫌われている、阻害されている。
同じ兄弟なのに自分ばかり叱られる、なぜか損ばかりさせられているように思う。
これは感覚ですから、親が例え違うと言っても誤解は深く潜行します。
また、何気ない親の一言が子供の心に親から愛されていない感じを持ってしまいます。
「うちの子はダメなのよ」「悪さばかりして、憎ったらしい」などと不用意に他人の前でもらすと、例え親は本心でなくとも子供の心にはマイナスのイメージとして植えつけられてしまうものなのです。
すると子供の行動は自然と親に対して反抗的な行動をとります。
この反抗心が親にはたまらなく不愉快な気持ちをもたらし、自分が原因であるにも拘らず、こどもを差別してしまうのです。
この差別感が親子で共有されてしまうとスケープゴートのもとを作ってしまいます。
これが酷くなると児童虐待という事になるのです
次に問題なのは虐待された児童がどのようにこの父母の恐怖から脱するかということです。
つまり生き抜くための智恵です。
家庭内で生き抜いていく術を自分で学んでいきます。
それが先ほど述べたヒーローとしての役割、ピエロとしての役割、親の問題まで口出す世話役、あるいは虐待を甘んじて受ける悲劇のヒロイン役などです。
こうして負の連鎖は親から子へ、子から孫へと受け継がれます。
どこかで断ち切らなければ、病気は治りません。
治らないどころか子孫に連鎖していきます。
こうした負の連鎖の心を根っこにもった方々がパニック障害やうつ病を引き起こしてしまうのです。
この心の根っこをしっかり捉えることにより、あなたの病気回復への道は開けるのです。
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