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【 2024/05/19 17:29 】
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この波長は神から出ています。
 
それを受け取りさえすれば良いのです。
 
それを端的に表している教えがあります。
 
生長の家からお借りしてみます。
 
ただし、昭和6年の表現ですので、現代仮名使いや表現の方法に違和感を覚えられる方もおありと思いますが、原文のまま記載させていただきます。
 
『汝ら天地いっさいのものと和解せよ。
天地いっさいのものと和解が成立するとき天地いっさいのものは汝の味方である。天地いっさいのものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。
汝が何物かに傷つけられたり、黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地いっさいのものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。
われ嘗て神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。
汝らの兄弟のうち最も大なるものは汝らの父母である。
神に感謝しても父母に感謝し得ないものは神の心にかなわぬ。
天地いっさいのものと和解せよとは天地万物に感謝せよとの意味である。
本当の和解は互いに怺え合ったり、我慢しあったりするのでは得られぬ。
怺(こら)えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。
感謝しあったとき本当の和解が成立する。
神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。
天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能(よ)う受けぬ。
皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。いっさいの人々に感謝せよ。天地の全てのものに感謝せよ。
その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう。
われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。
われは此処に見よ、彼処に見よと云うが如くにはいないのである。
だからわれは霊媒には憑(かか)らぬ。神を霊媒に招(よ)んでみて神が来ると思ってはならぬ。
われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。
われは愛であるから、汝が天地全てのものと和解したとき其処にわれは顕れる。』
 
現代心理学が確立する以前から病気と心の問題はこのように捉えられていたのです。
 
神の心に波長を合わせること、自分の良心の波長に準じることが病気を治す波長に合うといえます。
 
潜在意識にこの波長を上手に埋め込めば病気は自壊していくのです。病気を治すのは医者の役目ですが、消滅させるのは自分の力です。
 
自分のこころが病気の無い心の波長を生み出すことが大切なのです。

つづく
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【 2009/04/23 15:50 】
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